episode01集団が作るイジメに人間心理

未だに原因に気付かぬ間抜け教師

 

算数、国語、理科、社会、体育・・・

 

義務教育から高校、大学と高等教育を受けてきた教師がこんな単純な人間関係の歪に気付かない、恐ろしい世の中である。

 

もちろん教師だけでなく、いじめをする子、される子、その親兄弟も同じ、そんな簡単なことが分からないのだ。

 

カウンセラーなどという職業も同じく、無能の最たるものであり、原因も分からないのに治しようもなく、傷を舐め合うことに終始しているわけである。

 

 

ではなぜ人は皆、そんな簡単なことに気付かないのか?

 

答えはシンプルである。

 

小中高大と16年間教育を受けてくる、およそ22歳という年齢と等しい時間を家庭に所属している。

 

その中で、人間について考える時間がどれくらいあったろうか?

 

結論から言うと、圧倒的に時間が不足しているのである。

 

人を知り、人と人との関係を知ることは一見すると難しいことのように思うかもしれないが、実はある一定のパターンと、その組み合わせの世界である。

 

そこに向ける注意と観察、考察と思考の組み上げが圧倒的に少ないため、難解なことのように感じるだけである。

 

初めは聞き取れないネイティブの英語も、大量に触れ、学習し、実践すれば理解し、操れるようになる、それと同じようなことが人間、または人間心理についても言えるのである。

 

 

では例に挙げたいじめについてだが、いじめは完全にパターンのものである。

 

見事にストーリーに沿ってキャスティングされ。それぞれの役を演じるのである。

 

このいじめについては基礎知識がなくとも一様に同等のストーリーが出来上がるのは見事なものである。

 

つまり、幼稚な人間心理の集大成である。

 

天然の素材であるがゆえに、学ぶことも多く正に初級編といったところである。

 

 

いじめる子、これには明確にパターンがある。

 

人間には性善説性悪説あるが、それに加えて環境である。

 

このような統計はないのだが、人口内の分布に意地が悪い人間と、そうでない人間があいる。

 

今回は割合が重要なわけでないので10人に1人だとしよう。

 

40人のクラスで意地の悪い人間が4人いることになる。

 

ではその意地悪がいじめを始めるのか?

 

ことはそう単純ではない。

 

ただの意地悪なら喧嘩をするか、やり過ごせばいい。

 

意地悪は続くが、いじめとは違う。

 

ではイジメになるのはどのタイミングか?

 

それはマウンティングが始まる時なのである。

 

 

意地が悪い人間は、単に嫌がらせをするだけではなく、相手が優位になったり、恵まれていたり、ラッキーだったり、とにかく自分より有利な状況に嫉妬するものである。

 

自覚のあるなしに関わらずである。

 

つまり、目障りといった状態がピンとくるかもしれない。

 

この目障りを解消する行為が嫌がらせなのだが、その心理的根源はマウントにある。

 

多くの場合に、イジメられる側が完全に何の取り柄もないというのは考えにくい。

 

イジメる当人より遥かに下位で、特筆すべき何ものをも持たない人間はイジメの対象になることは少ない。

 

嫌がらせを受けることはあるが。

 

ではなぜイジメに発展しないのか?

 

それは満足が得られないからである。

 

イジメによる満足の根本は嫌がらせ自体にはない。

 

ここを勘違いする無能な大人はイジメをなくせない。

 

解決以前に役に立たないクズである。

 

 

ではイジメによる満足は?

 

それはマウンティングのために相手を蹴落とすことにあるのだ。

 

本能では畏怖し、嫉妬してるのである。

 

ここで二つ目の心理が働いている。

 

相手をイジメ、蹴落とした状態では常に不安は付きまとう。

 

ダメージの回復と共に再び脅威とならないか?

 

だから定期的にイジメる。

 

そのマウントを固定化するためである。

つまり怖いのだ。

 

 

そしてイジメられる子の心理だが、こちらは意識していないところで相手に嫌われているので対応のしようがない。

 

というか往々にしてその対応を間違うのである。

 

イジメる側の心理を知らずにすり寄ってみたり、無視してツンとしてみたり、どれも見事に逆効果である。

 

そしてそのイジメは際限なく続くのである。

 

不幸なことである。

 

 

もちろん、重要なファクターとして取り巻きの存在がある。

 

その他の子の存在である。

 

そもそも、イジメの定義を調べたことはないが、一対一では成立しえないように思う。

 

では、イジメを助長する取り巻きの心理だが、これもおよそマウンティングである。

 

しかも劇場型である。

 

イジメる子と、イジメられる子、イニシアチブを取るのはイジメる子である。

 

「どちらにつくのか?」と。

 

そこでイジメる側につくのは正解である。

 

残念ながら高度に洗練されたメカニズムである。

 

 

先にも述べたように、多くの生徒は意地の悪い人間ではない方である。

 

ではなぜ、イジメられる側に加担しないのか?

 

多くの場合に、そちらに正義があることには気付いているのにである。

 

ここでは、イジメられる側に助太刀しないのは本能的なものである。

 

実に素晴らしい。

 

イジメる子が怖いのではない。

 

それも理由の一部ではあろうが、多くの無能な大人が気付かないのはこのあたりの心理である。

 

その他の子は、近い言葉で表すなら良い子である。

悪い子ではない、というのでもいいだろう。

 

そうすると、一部の意地が悪い人間の心理が分からない。

 

単に怖いのではなく、理解できないことによる畏怖である。

 

だからこそ、なんとなく取り巻きに含まれることが本能的な安全策なのである。

 

実に見事なセンサーを持っている。

 

このことを責めてはいけない。

 

立派な自己防衛本能なのである。

 

無能なのはそれを理解しない周囲の大人なのである。

 

 

ここまで、簡単にイジメにおける人間心理の例を書いてみたが、結論から言うとイジメはなくならない。

 

犯罪がなくならないのと同じである。

 

人間は一定割合で意地の悪い人間が発生する。

 

 

法律では裁けない範囲のことを最近になってやっとセクハラだ、モラハラだ、パワハラだというようになったが、大人の社会がその程度に未熟なのである。

 

悪くもないのにイジメに遭う子供には同情する。

 

 

余談ではあるが、イジメを脱出する方法がある。

 

お近くにイジメに遭われている方がおられた場合のためにご参考程度に。

 

 

先にも書いたように、イジメる側はイジメる対象に対して、必ず何らかの劣等感を抱いる。

 

容姿か、運動か、歌か、持ち物か。

 

そして、その優位性を発揮させないためにイジメを仕掛けて来るのである。

 

つまり、その優位性を失うのではなく、一時的にでもいいので助長させてアピールするのが祭壇の反撃となるのである。

 

そのことについて真っ向勝負するのである。

 

イジメる側は劣等感を持っているので、その勝負では勝てないと思っている。

 

ゆえにイジメという卑劣な手に出るのである。

 

そこが決戦の舞台であり、実はこちらに有利なフィールドは唯一そこなのかもしれない。

 

バカな大人はバランスを取れとか、目立つなというかもしれないが、思う壺である。

 

 

イジメをしてくるということは、それが相手の嫌なことなのである。

 

それを突き付けて曲げなければ、必ず相手が折れくるのである。

 

なぜなら、相手が苦手なフィールド、そして重要なもう一つの事。

 

イジメを仕掛けてくる人間は心が弱く、相手を蹴落とそうという卑劣な人間なので、正攻法の押しには勝てません。

 

真っ向勝負出来なかった弱虫なのだから、負ける理由はないでしょう。